相馬黒光(新宿中村屋創業者)はフェリス出身!?朝ドラのモデルにもなった?

こんにちは。

今回は新宿中村屋の創業者の1人である

相馬黒光

さんをご紹介します。

いったい彼女はどんな人物なのでしょうか?

そんな相馬黒光さんの

プロフィール

フェリス出身?

黒光(こっこう)という名前の由来

新宿中村屋の歴史

朝ドラとの関係

などを中心に書いてみたいと思います。

ぜひ最後までご覧ください。

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相馬黒光のプロフィール

まずは相馬黒光さんのプロフィールを紹介します。

名前…相馬黒光 (そうま・こっこう)

生年月日…1876年9月12日

死没…1955年3月2日

死没年齢…78歳

旧姓…星

本名…相馬良 (そうま・りょう)

相馬黒光さんは宮城県仙台市で三女として誕生しました。

幼い頃から教会へ通い、キリスト教を信仰していました。

そして12歳の頃、洗礼を受けています。

高校は地元の宮城女学院に入学しました。

しかしストライキ事件により自主退学することになります。

そして横浜にあるフェリス英和女学校に転校しました。

現在のフェリス女学院中学校・高等学校です。

しかしフェリス時代に文学にハマってしまい、またしても退学することになります。

そして文学をもっと勉強したいとの思いを胸に、明治女学校へと転校しました。

明治女学校を卒業した相馬黒光は、長野県でキリスト教信者をしていた相馬愛蔵と結婚しました。

そして愛蔵の地元である安曇野に移り住んだのですが、健康を害し、また村の生活が合わなかったこともあり、上京することになったのです。

夫婦2人で、知り合いのいない東京での生活の始まりでした。

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黒光(こっこう)という名前の由来

相馬黒光という名前は本名ではありません。

「相馬」は本名なのですが「黒光」は本名ではないのです。

黒光というのは、文学の恩師である明治女学院の教頭が名付けてくれた「ペンネーム」です。

良(黒光の本名)の性格があまりにも激しかったため、

「あなたの文学の才能を黒で隠しなさい」

という願いを込めて授けられたのでした。

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新宿中村屋の歴史

夫の黒田愛蔵は、安曇野では養蚕や農業に従事していました。

誰かに使われることを嫌っていた愛蔵は、妻の黒光と共に起業することを決意しました。

そこで当時、東京の本郷にあった中村屋という小さなパン屋を買い取ったのです。

従業員も一緒にです。

1901年のことでした。

それが現在の新宿中村屋の始まりになったのです。

ちなみに中村屋は東京大学の正門前にあったため、東大の学生たちで賑わい繁盛しました。

それから6年後の1907年、中村屋は新宿へ移転しました。

そして現在まで続いているのです。

現在は2017年ですので「創業116年」ということになります。

とてもつもない数字ですね。

会社を作るのは簡単です。

しかし存続させるのは大変困難です。

それを100年以上存続させているのですから、新宿中村屋というのは魅力に溢れた、お客様に愛される会社であるということでしょう。

現在では新宿のシンボルの1つといっても過言ではありません。

新宿に行ったら、中村屋に行く。

中村屋があるから、新宿に行く。

新宿と中村屋は切っても切れない関係なのです。

相馬黒光と朝ドラとの関係

相馬黒光さんと朝ドラにはどんな関係があるのでしょうか?

相馬黒光さんが朝ドラのモデルになったことありません。

ですが朝ドラのライバルドラマをTBSが製作していました。

その中の1つが相馬黒光さんをモデルにしたドラマだったのてす。

そのドラマはTBSの「ポーラテレビ小説」枠で、1963年3月31日~9月27日まで半年間に渡り放送されました。

そして脚本は山田太一さんが担当しました。

出演者も、

寺尾聰

新藤恵美

小野寺昭

大山のぶ代

市原悦子 (ナレーター)

など豪華な面々でした。

どんなドラマだったのか、ぜひ見てみたいですね。

まとめ

今回は新宿中村屋の創業者の1人である相馬黒光さんを紹介させていただきました。

現在でも人気の新宿中村屋が100年以上前から存在していたとは驚きですね。

相馬愛蔵さん、黒光さんの意志を継いで、これからもますます多くの人から愛される新宿中村屋であってほしいと切に願っています。

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