奥村彰子が貢いだ山県元治の現在は?銀行にバレなかった理由!

こんにちは。

今回は

奥村彰子

をご紹介します。

1973年、奥村彰子 (当時42歳)が横領の容疑で逮捕されました。

その横領金額はなんと

「9億円」

という信じられない大きさでした。

この事件は

「滋賀銀行9億円横領事件」

と呼ばれ、数ある横領事件の中でも特に際立っています。

そして犯人である奥村彰子がお金を渡していた男こそが

「山県元治」

だったのです。

私はもちろん奥村彰子もそうなのですが、山県元治という男にも興味が湧いてきました。

そこで今回は

滋賀銀行9億円横領事件について

なぜ銀行は奥村彰子の横領に気がつかなかったのか?

山県元治という男

山県元治の現在

などを中心に書いていきたいと思います。

ぜひ最後までご覧ください。

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滋賀銀行9億円横領事件について

まず滋賀銀行9億円横領事件についてご説明します。

1973年10月、滋賀銀行山科支店の行員である奥村彰子が逮捕されました。

奥村は当時42歳でした。

容疑は横領罪。

過去6年間、1300回にも渡り、合計9億円という大金を着服。

その大半を山県元治に渡していたということが発覚したのです。

まず9億円という金額が物凄いですね。

現在は2017年で、事件当時は1973年ですから、44年前になります。

現在と事件当時の貨幣価値にはどれくらい違うのか気になって調べてみたのですが、

「おおよそ4~5倍違う」

ことがわかりました。

つまり、奥村彰子が横領した9億円を現在の貨幣価値に換算すると

「36~45億円」

という、とんでもない金額になってしまいます。

おそらく横領事件の規模としては、トップ3にランクインする規模でしょう。

いったい、どうしてこのような事件が起きてしまったのでしょうか?

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なぜ銀行は奥村彰子の横領に気がつかなかったのか?

滋賀銀行9億円横領事件のことを知って多くの方が疑問に思うであろうことがあります。

それは

「なぜ銀行は奥村彰子の横領に気がつかなかったのか?」

ということです。

100万円や200万円ならまだしも、9億円ですから。

まず奥村彰子は9億円を一気に横領したわけではありません。

さすがにそんなことをすればバレてしまいますから。

奥村彰子は

「9億円を、6年間かけて、1300回に分けて横領した」

のです。

せっかくなので細かく計算してみました。

1年は約52週。

52週 × 6年 = 312週。

1300回に分けたということなので、

1300回 ÷ 312週 = 4.16回

つまり1週間に4.16回ということにります。

同じように9億円ですから

9億円 ÷ 1300回 = 約70万円

当時も現在と同じく、銀行の業務が月~金曜日だとすると、週に5日営業になります。

つまり総合的に考えると

「奥村彰子は1週間5日勤務のうち、4日、70万円を横領をしていた」

ということです。

5日のうち4日ですから、ほぼ毎日横領行為をしていたということになります。

70万円とはいえ、現在の貨幣価値では280~350万円ですから、決して小さい金額ではありません。

どうして銀行は6年間も奥村彰子の横領行為に気がつかなかったのでしょうか?

奥村彰子が42歳で、ベテラン行員であるということもあり、上司から信用されていたことは確かでしょう。

それもあったのでしょが、実は

「架空名義預金口座作成」

「預金証書偽造」

などの行為に手を染めていたのです。

また

「定期・通知預金事務決済者」

を任されたことも大きかったようです。

これはつまり奥村彰子の判断で決済が出来るということですから。

この時期はまさにやりたい放題だったはずです。

しかしそれでも、やはり一番の原因は

「銀行の管理体制の怠慢」

です。

いくら奥村彰子が出世したとはいえ、銀行には当然彼女の上司は何人もいたわけです。

そして上司が部下の管理をするのは義務です。

信用していたからとかは関係ありません。

例え相手が家族や親戚であったとしても、必ず不正がないかチェックするのが仕事なのです。

それを奥村彰子の上司は怠りました。

その結果が9億円という損失です。

奥村彰子には禁錮8年という実刑が下されました。

しかし上司は何の罪にも問われていません。

これはおかしなことです。

上司が当たり前のことを当たり前にやっていれば、事件は防げたのですから。

「まさか架空名義預金を作るとは思わなかった」

「まさか預金証書偽造をするなん思わなかった」

どちらも言い逃れです。

もちろん主犯は奥村彰子です。

しかし上司も結果的には共犯だということなのです。

たとえ知らなかったとしても。

山県元治という男

山県元治という男について調べてみたのですが、かなり

「とんでもない男」

だったということがわかりました。

山県元治が奥村彰子と知り合ったのは、タクシーの中でした。

タクシーの運転手をしていた山県元治が乗せた客の一人が、たまたま奥村彰子だったのです。

その時は、そのまま別れたのですが、翌年にバスの中で再会したのです。

そこから2人の付き合いが始まったのです。

ここまではまだいいのです。

山県元治は奥村彰子よりも10歳年下ですが、恋愛には年齢は関係ありませんから。

しかしこのとき、山県元治は「競艇で負けた帰り」だったのです。

競艇をやっているというだけで山県元治という人間を判断するのは早すぎるでしょう。

しかし歩んできた人生、生き方を見てみると人物像が見えてきます。

まず山県元治は競艇を趣味にしていました。

そして歌手になることが夢であり、鼻を整形手術していました。

ガラス店に6年間務めていたのですが、独立。

しかし開いた陶芸店を競艇ですぐに潰してしまいました。

そしてタクシー運転手になったのですが、実はタクシー会社を何度も変わっています。

それは山県元治がタクシーの売上金を誤魔化して自分の懐に入れていたことがバレたからです。

つまりこの時点で

・ギャンブル依存症

・夢見がちで現実が見えていない (歌手になりたい)

・努力ではなく、手っ取り早く成果を手に入れたい (整形、ギャンブル)

・お金を盗むことに罪意識がない

ということが分かります。

これは奥村彰子と出会う前なのですが、出会ったあとは更にエスカレートしていきます。

・競艇の金がいると奥村彰子に何度も要求する

・奥村彰子の務めていた銀行の客の小切手を要求する

・車がほしいからとお金を要求する

・「競艇で一発当てるから大丈夫」が口癖

・銀行に何度も電話をかけてきてお金を要求する

・車、外車、モーターボートを何台も所有している

・豪邸に住んでいる

・ギャンブルで一回に1000万円を使う

・奥村彰子の横領行為がバレそうになって相談しても、お金だけ受けとって帰る

・奥村彰子と関係があった時期に別の女性と結婚して、娘が生まれている

ここまでくれば完璧に山県元治という男の人物像が分かります。

つまり山県元治という人間は

「努力することなく楽して大金を手に入れて遊びまくりたい」

という、何の魅力も、男としての深みもない、薄っぺらい男だったということです。

奥村彰子は運命のいたずらとはいえ、史上稀にみる最低の男をつかまえて、そしてつかまってしまったのです。

山県元治の現在

山県元治には禁錮10年という実刑が下されました。

現在は出所して、年齢は77歳であることはわかっていますが、それ以外はいっさい不明です。

そもそも生きているのかどうかも分かりません。

どんな人間の人生も尊くて価値があるというような言葉がありますが、山県元治のような男にはいっさい当てはまらないでしょう。

それにしても禁錮10年というのは軽すぎますね。

アメリカであれば重い罪であれば禁錮300年などもありますが、日本もそれくらいにしてほしいと思います。

まとめ

今回は滋賀銀行9億円横領事件について、山県元治や奥村彰子をご紹介しました。

それにしても奥村彰子はなぜこんな行為に手を染めてしまったのでしょうか。

山県元治という最低男のために、自分の人生を捨ててしまうなんて。

女性は男性を見極める確かな目が必要だということなのでしょう。

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