こんにちは。
トムです。
今回は元・サッカー選手の
本並健治
さんに注目してみます。
サッカー好きの方でも、若い方はあまりご存知ないのではと思います。
30代以上の方なら知っていらっしゃるかもしれません。
そんな本並健治さんの
プロフィール
腎臓破裂事故
ハーフ顔
嫁と子供
丸山桂里奈
などを中心に書いていこうと思います。
ぜひご覧ください。
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本並健治のプロフィール
まずは本並健治さんのプロフィールを紹介します。
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名前…本並健治 (ほんなみ・けんじ)
生年月日…1964年6月23日
年齢…52歳 (2017年6月6日時点)
出身…大阪府枚方市
身長…186センチ
体重…82キロ
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本並健治さんは元・サッカー選手です。
ポジションはゴールキーパー。
今では182センチと言えば普通ですが、当時は背の高いゴールキーパーの部類に入ったと思います。
本並健治さんがプロのサッカー選手になった当時は、まだJリーグがありませんでした。
大学を卒業した後に入団したのが「松下電器」のサッカー部です。
現在の「ガンバ大阪」の前進のチームになります。
ガンバ大阪では正ゴールギーパーとして活躍。
シュートに対する反応も素早く、また攻撃的なプレースタイルもあり、ガンバ大阪だけではなく、Jリーグの中でも有名な選手でした。
現在のガンバ大阪はJリーグの中でも強豪チームですが、当時はあまり強くなかったのです。
そのため攻撃よりも守備の時間が長く、本並健治さんの出番が多かったのでした。
そして1994年には日本代表のゴールキーパーの1人として選出されたことがあります。
ガンバ大阪で活躍していた本並健治さんですが、若手の台頭もあり、次第に試合出場の機会が減ってきました。
そんなときに「ヴェルディ川崎」からのオファーが舞い込み、移籍するを決断します。
最初はレンタル移籍だったのですが、翌年に完全移籍しました。
そしてヴェルディ川崎では正ゴールキーパーを獲得し、引退するまで全盛期を彷彿とさせる活躍を見せてくれたのは印象深かったです。
本並健治さんが所属したチームと期間を整理してみます。
1986-1992年 松下電器 (6年)
1992-1998年 ガンバ大阪 (6年)
1997-2001年 ヴェルディ川崎 (4年・レンタル移籍期間も含む)
このようになっています。
私個人としては、青いユニフォーム姿で活躍していたガンバ大阪時代が一番印象に残っています。
本並健治さんご本人としては、もちろんガンバ大阪に対する愛は深いと思いますが、現役選手として自分を必要として獲得してくれたヴェルディ川崎に対する感謝の思いも、負けないくらい深いのではないかと思います。
多くのファンに愛された、Jリーグの歴史に名を刻んだ名選手だったことは、間違いのない事実ではないでしょうか?
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本並健治の腎臓破裂事故
本並健治さんは実は現役時代に命にかかわる大怪我をしています。
1993年、Jリーグが始まったばかりの年です。
ガンバ大阪はサンフレッチェ広島と対戦しました。
もちろんガンバ大阪のゴールキーパーは本並健治さん。
事故が起こったのは、コーナーキックの場面でした。
サンフレッチェ広島の蹴ったコーナーキックのボールに対して本並健治さんがキャッチしようとチャージしたのですが、その際に相手の選手と激しく接触し、腎臓破裂の重症を負ってしまったのです。
本並健治さんはその後も試合に出場し続けたのですが、試合は延長戦始まった直後にガンバ大阪がゴールを決められて負けました。
しかしこの負けは、実は本並健治さんにとっては「恵みの負け」だったのです。
試合終了後に本並健治さんは病院で診察をうけて腎臓破裂の重症であることが判明したのですが、その際に医者に言われたのが「もし延長戦が後半の最後まで続いていたら、あなたの命はおそらく助からなかったと思う」という衝撃の言葉でした。
きっとサッカーの神様が本並健治さんの命を救ってくれたのではないかと思います。
助かって本当に良かったです。
本並健治はハーフ?
本並健治さんの顔を見て、おそらく日本人の99%が思うであろうことが、
「ハーフ」
であることでしょう。
あのホリの深い顔は日本人離れしていますから仕方のないことです。
「どちらとどちらのハーフですか?」
「お父様とお母様、どちらが外国の方ですか?」
などなど、ハーフであることが前提の質問を、ご本人は嫌というほどされてきたとのことです。
しかし衝撃の事実なのですが、本並健治さんは父親も母親も純日本人であり、ご本人も純日本人なのです。
どう見てもドイツ人かイタリア人に見えるのですが、不思議ですね。
私は今でも本並健治さんがハーフまたはクオーターではないのが信じられません。
少なくともクオーターではないかと思っているのですが。
でも日本人なのは間違いのない事実なのです。
変な話なのですが、本並健治さんがドイツに旅行に行ったとしたら、おそらく現地のドイツ人からドイツ語で話しかけられると思います。
あれと同じです。
俳優の阿部寛さんが映画デルマエ・ロマエの撮影でギリシャに行ったとき、現地の人は阿部寛さんにギリシャ語で話しかけたように。
そしていくら自分は日本人だと言っても信じてくれなかったように。
あれ同じです。
ネプチューンの名倉潤さんが、番組の企画でタイに行って、現地の人にタイ人として扱われるかを実験して、予想通りのタイ人として扱われたように。
ぜひ番組の企画で、本並健治さんをドイツに連れていって実験してみてほしいです。
きっと面白い映像が撮れると思いますよ!
テレビ関係のみなさん、ぜひよろしくお願いします。
本並健治の嫁と子供
本並健治さんは現在52歳です。
なので当然結婚されて家族もいらっしゃるであろうと思い調べてみました。
本並健治さんは結婚されています。
奥様の名前は「美千代」さん。
結婚したのが1991年なので、健治さんが27歳の頃です。
まだ松下電器のサッカー部時代ですね。
そして息子さんが誕生したのが、1993年です。
この時期はガンバ大阪ですね。
息子さんの名前は「祐斗 (ゆうと)」さんです。
現在24歳になりますね。
おそらくですがサッカーはされていないと思います。
「本波」という名字は珍しいですから、もしサッカーをされていれば知られている可能性が高いからです。
個人的には息子さんがどんなお顔をされているのか見てみたいですね。
果たして父親の健治さんと似たハーフ顔なのか、それとも普通の日本人顔なのか?
はっきりしているのは、父親に譲りのイケメンだということですね。
本並健治と丸山桂里奈の関係
実はこのブログを書こう思ったのは、本並健治さんと丸山桂里奈選手が「ナカイの窓」に出演するのを知ったのがきっかけです。
丸山桂里奈選手と言えばなでしこジャパンでも活躍した現役の女子サッカー選手です。
そんな彼女が本並健治さんとどんな関係があるの?と不思議に思ったのです。
しかしそこで思い出したのが「本並健治さんって、確か女子サッカーの監督をやったことがあるよなあ」ということでした。
そこで調べてみると、やっぱり監督をされていました。
チーム名は「スペランツァFC大阪高槻」。
名前の通り、大阪府高槻市に本拠地を置く、女子サーカークラブです。
このスペランツァFC大阪高槻で本並健治さんは監督をされていました。
期間は2012年から2016年なので、つい最近までやっていたんですね。
そして丸山桂里奈選手が「ジェフ千葉レディース」からスペランツァFC大阪高槻に移籍したのが2012年です。
ちょうど本並健治さんが高槻の監督になったのと同じ年ですね。
なので「本並健治さんと丸山桂里奈選手は監督と選手という関係」ということですね。
私は本並健治さんが女子サッカークラブの監督の選手になるというニュースをテレビで見たのですが、当時50歳に近かった本並健治さんを見て「若い、メッチャイケメン!」と思ったのでした。
そして同時に思ったのが「こんなにかっこい男性が監督で、女子選手たちは大丈夫だろうか?」ということでした。
「大丈夫か?」というのは「女子選手たちが本並健治さんを好きになってしまわないだろうか?」という意味です。
実際に密かに想いを寄せていた選手はいたのではないかと思います。
もしかして丸山桂里奈選手もその1人だったのかも?
そのあたりの真相は「ナカイの窓」の中で中居くんが突っ込んでくれそうので期待しています。
まとめ
今回は元・サッカー選手の本並健治さんを紹介させていただきました。
それにしても50歳を過ぎても本当に若いですね。
とても50代には見えませんから。
監督は昨年辞められましたが、また何らかの形でサッカーに関わっていただきたいと、サッカーファンの1人として願っています。
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