平成を代表する横綱である白鵬翔。
これほど強いということは、血の繋がっている兄弟がいれば同じくらいの相撲の素質があるのではないかと思いました。
そこで白鵬の兄弟について、そして両親や親類、更にモンゴルウランバートル時代についても調査してみました。
興味深いことがたくさん分かりましたので、ぜひ最後までご覧ください。
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白鵬の兄弟は何人いる?性別や名前も気になる!
まず気になったのが、白鵬のにはそもそも兄弟がいるのかということでした。
もしかすると一人っ子かもしれないし。
いるとすれば兄か姉?いやいや弟や妹かもしれないなどなど、いろんなことが頭をよぎりました。
そして調査した結果、たくさんのことが分かりましたので、以下でご紹介していきますね。
白鵬には兄が1人、姉が3人います。
つまり白鵬は5人兄弟の末っ子ということです。
白鵬は子供時代に1人で異国の日本へやって来たほどの自立した人物です。なので甘えん坊が多い末っ子というのは正直、意外でした。
モンゴルでは女性が子供を5人産むと勲章が授与される制度がありました。つまり子育てに関するサポートがしっかりているのです。
そのため母親は安心して子供をたくさん産むことが出来るという訳です。
もしもこの制度がなかったら、白鵬は5人目の子供ですから、もしかするとこの世に存在していなかったかもしれませんね。
そうなると大相撲の歴史も大きく変わっていました。なんだか運命というかドラマを感じますね。
ちなみに白鵬の本名、つまりモンゴルでの呼び名は「ダヴァジャルガル」または「ダワージャルガル」です。
ですが名前が長いので(もしかするとモンゴルでは普通なのかも)「ダワー」または「ダヴァー」という愛称で呼ばれていました。
日本人にとっては発音が難しそうですね。
「ダワー」は「月曜日」、そして「ジャルガル」は「幸せ」という意味です。
これは想像ですが、月曜日は週の始まりですから「生まれた瞬間から、周囲の人たちを幸せにしてくれる子供」といった意味でしょうか?だとすれば壮大な名前ですね。
白鵬の4人の兄弟の名前ですが
- 長兄 バットホヤグ
- 長姉 不明
- 次姉 バスカ
- 三姉 不明
となっています。
すみません。長姉と三姉の名前は分かりませんでした。
次は4人の経歴をご紹介します。
長兄のバットホヤグはモンゴル相撲の選手として指導を受けました。その後、士官学校を卒業し、柔道の教師となりました。
長姉はウランバートルの学校で学び、その後、北朝鮮の大学へ留学しました。
次姉のバスカも長姉と同じくウランバートルの学校で学び、イギリスロンドンの大学へ留学しました。
三姉は弁護士を志してモンゴル国内の大学の法学部へ進学しました。
こうして見てみると、お兄さんは白鵬と同じく体育会系な感じですが、お姉さんたちはみんなインテリな感じですね。3人全員が大学へ進学し、そのうち2人が海外留学というのは凄いです。
ご両親がかなり熱心に子供の教育をしていたことがうかがえます。
もし白鵬が相撲と出会っていなかったと考えると、いろんな想像が出来ますね。
お兄さんと同じく柔道の先生になっていたかもしれない。
もしかするとお姉さんたちみたいに、海外の大学へ留学していたかもしれない。
運命って面白いなあって思います。
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白鵬の両親はどんな人?
次は白鵬のご両親はどんな人なのかをご紹介します。
まず父親の名前は「ジグジット・ムンフバト」といいます。実は凄い経歴の持ち主です。
主な実績としては
- 20歳のとき、モンゴル相撲で全国優勝
- モンゴル相撲では優勝回数6回を誇る(そのうち5回は連覇)
- モンゴル相撲では52連勝という大記録を樹立
- 1968年のメキシコシティーオリンピックのレスリングで銀メダルを獲得
などがあげられます。
めちゃくちゃすごいすよね。
「モンゴル相撲」を「大相撲」という言葉に置き換えると、なんだか白鵬の紹介をしているような気がしてきました。
白鵬が力士としてあれだけ活躍しているのは、父親から受け継いだ肉体的な影響が強そうです。
更にジグジットさんはモンゴル人初のオリンピックのメダリストです。なのでモンゴルでは国民的な英雄でもあるのです。
つまり父子そろって母国の大スターだということですね。
続いて母親ですが、名前は「ウルジーウタス・タミル」といいます。
タミルさんはなんと「外科医」をしています。
なるほど、白鵬と長兄は父親から肉体的な影響を受け、力士と柔道の先生になった。
そして、3人の姉たちは母親から頭脳的な影響を受け、大学や海外留学をした。
こんな感じがします。
それにしても肉体と頭脳の両面で優れた両親を持った白鵬は、かなり恵まれていますね。
白鵬があれだけの優勝回数を誇っているのは肉体的な面ももちろんありますが、実は「相撲脳」といいいますか、頭がいいというのも大きいのです。
実は大横綱白鵬の強さの原点は両親にあったということです。
白鵬のモンゴルウランバートル時代
白鵬はモンゴルのウランバートルという街で子供時代を過ごしました。
モンゴル相撲に関しては10歳から12歳の時期にやっていました。しかしあくまでも遊び程度であり、熱心にやっていたわけではありません。
むしろバスケットボールに熱中していました。
そんなときに白鵬はリビングに置いてあった雑誌がきっかけで大相撲と出会います。そしてそこから密かに力士に対して憧れを持つようになりました。
そして白鵬が15歳のころ、柔道の先生になった長兄のバットホヤグから、柔道を勧められました。しかし力士に憧れていた白鵬は「どうしても相撲がやりたい」と兄のすすめを断ったのです。
父親はある程度白鵬の意向を認めてくれたのですが、母親は勉强をして学者になってほしいと願っていました。そのため意見が別れ、夫婦喧嘩をすることもありました。
しかし最終的には子供の夢を邪魔することは出来ないと、白鵬の思いを認めたのです。
この後まもなく白鵬は中学を卒業しました。そして力士を夢見て、日本へと旅立ちました。
父親もそうでしょうが、母親は本当に寂しかったでしょうね。
白鵬が偉大な横綱にまでなったのは、こんな両親の思いをしっかりと受け止めていたからでしょう。
そう思います。
まとめ
今回は白鵬の兄弟や両親について書いてみました。
いかがでしたでしょうか?
個人的には、白鵬のルーツについての知識が以前より深まったため、なんだか白鵬に対しての見方が今後変わってくるような気がします。
白鵬はモンゴルにいる家族の思いも胸に、土俵上で戦っているのです。
だからあんなにも強いんのですね、きっと。
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