二歩と打ち歩詰めはなぜ反則なのか?

将棋の駒は、各々、動かせる範囲が決まっています。
将棋の駒の種類は

・玉
・飛車
・角
・金
・銀
・桂馬
・香車
・歩

です。

「行き場のない駒」は反則になるので、打つことができません。
この反則に該当する可能性のある駒は

・桂馬
・香車
・歩

の3つです。

・桂馬は、1~2段目には打てません。
・香車は、1段目には打てません。
・歩は、1段目には打てません。

そして、将棋には「歩」にだけ特別なルールが2つあります。
それが

・二歩
・打ち歩詰め

が反則になるというルールです。

打ち歩詰めと二歩の説明は省きます。
なぜこの2つが反則になったのかというのは、いろんな説があるようです。

なぜ反則なのかという理由は分かりません。

ですが、この2つのルールがあることで、
将棋がより面白くドラマティックになっているのは確かです。

私なりに、なぜこの2つが反則になっているのかを考えてみました。
あくまでも個人的な考えですが、答えのないものを
好き勝手に考えるのは楽しいものです。

よろしければお付き合いください。

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将棋では合駒を打つ機会が多いですが、
そこで二歩が反則というルールがなかったら、
間違いなく歩を打つことになります。

合駒というのは防御のために打つものです。
なので基本的には安い駒を打ちたいのです。

将棋で一番安い駒は「歩」です。
ですから、歩を打ちたいのです。
もし二歩が禁止でなかったら、何も考えずに歩を打つでしょう。

ですが二歩は禁止です。

このルールによって何が生まれるのか?
防御のために歩を打ってしまうと、将来、
攻撃のために敵陣に歩を打つことが出来なくなります。

もちろん相手がその歩を取ってくれれば別ですが、
相手はなかなか取ってはくれないものです。

自陣に歩を打つということは、敵陣に歩を打てなくなります。
敵陣に歩を打つと、自陣に歩を打てなくなります。

もちろん歩がと金に成ってくれれば別です。

私はこの二歩が反則になるルールに

「リスクとリターン」
「メリットとデメリット」

こういったものを感じます。

いいとこ取りは出来ないということです。
何かを得るということは、何かを失うということです。
大きく言えば、人生とはそういうものです。

二歩が反則というルールには、私は人生を感じます。
二歩が反則というルールから、将棋に人生を感じるのです。

逆に言いますと、二歩が反則ではなかったら、
将棋はただのゲームになってしまいます。

将棋は確かにゲームです。
でもただのゲームならば、何百年も前から現在に至るまで、
たくさんの人を魅了することは出来ません。

「ゲームよりも深い何か」

これがあることによって、将棋と人生が重なるのです。

人生において、Aという道を選ぶということは、
Bという道を選ばないことを意味します。

歩を自陣に打つという選択は、
歩を敵陣に打つという選択をしないことを意味します。

「将棋を指すということは、盤上で別の人生を生きるということ」

なのかもしれません。

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打ち歩詰めが反則になる理由

この打ち歩詰めが反則になるというルールは、
将棋のあらゆるルールの中でも一番謎に満ちています

二歩が反則な理由は、もしかすると
外国人の方にも理解してもらえるかもしれません。

ですが、この打ち歩詰めが反則の理由は
おそらく日本人でなければ感覚的に理解できないと思います。

打ち歩詰めが禁止というルールは、
攻撃している側からすると理不尽極まりないものです。

相手の王様の前に、歩を一枚打てば勝ちです。
しかもその歩は「行き場のある駒」です。
なのに打つことが出来ないのです。

防御している側からしても、理不尽極まりないものです。
負けなのに、負けではない。
助からないはずなのに、助かってしまう。

誰が助けてくれたのか?

それは

「将棋の神様」

です。

打ち歩詰めの将棋で有名な対局といえば、
竜王戦の渡辺明竜王と羽生善治名人の一戦です。

もし打ち歩詰めが反則でなければ、
この竜王戦は4-0で羽生善治名人がタイトルを奪取して、
永世七冠になっていたのです。

ですが打ち歩詰めが反則のため、渡辺明竜王はこの対局を勝利し、
そしてその後、逆転4連勝でタイトルを防衛したのです。

渡辺明竜王は、打ち歩詰めの手順を発見する直前まで、
いつ投了しようかと考えていたそうです。

渡辺明竜王が打ち歩詰めの手順を見つけたのは、
羽生名人が水を飲んでいた、わずかな時間の間です。

もちろん羽生名人は油断したわけではありません。
あと一歩で勝てるという局面で、ミスをしないために
気持ちを落ち着かせるために、水を飲んだのです。

ですが、結果的にその時間が渡辺明竜王に閃きを与えてしまったのです。

羽生名人には何の見落としもありませんでした。
でもこの理不尽なルールのために勝つことが出来ませんでした。

打ち歩詰めの局面というのは、プロでも意図的に作りだすことは出来ません。
打ち歩詰めの局面の駒の配置というのは「運」なのです。
実力ではないのです。

誰しもが運が良くなることを願っています。
でも運が良くなる絶対的な方法はありません。

人生において、運というのは神様が関知することです。

そして将棋において唯一、運が関知しているのが打ち歩詰めの局面なのです。
打ち歩詰めの局面の駒の配置は、将棋の神様が決めているのです。

では、将棋の神様は、どちらに運を与えるのか?
なぜ竜王戦では渡辺竜王に運を与えたのか?

それは

「人間には関知できないミステリー」

なのです。

打ち歩詰めが反則というルールから、将棋の神様を感じざるをえないのです。

まとめ

「二歩」と「打ち歩詰め」が反則な理由について、
私の考えを好き勝手に書いてみました。
完全に妄想の世界です。

・二歩    = 人生
・打ち歩詰め = 神様

という認識です。

人生というのは、自分の力でかなりの部分はコントロール出来ます。

ですが成功したと思ったとたん、理不尽な理由によって、
叩き落とされてしまうこともあります。

逆に、もう人生終わりだと思ったのに、
そこから大逆転して成功する人もいます。

人生には、絶対にコントロール出来ない部分があります。
人生をコントロールしたいと誰しもが願っています。
でも同時に、大きな何かにコントロールされたいとも願っています。

人生に必勝法があるなら知りたい。
でも何もかも思い通りになる人生なんてつまらない。

序盤に指して好手だと思われた一手が、
最終盤で打ち歩詰めの原因になっていた。
そして負けてしまった。

序盤に指して悪手だと思って、対局中ずっと後悔していた一手が、
最終盤に相手が打ち歩詰めの局面を引き寄せた。
そして勝ってしまった。

「打ち歩詰めが反則というルールが、将棋に神様を宿している」

私はそんなふうに思っています。

妄想なのですが、そんな妄想が将棋を更に楽しくしてくれています。
将棋はたった81マスしかないのに、なぜこれほど深いのでしょうか?
あと100年経っても将棋が解明されることはないでしょう。

将棋を気楽に楽しむのも良し。
将棋を深く楽しむのも良し。

将棋に出会えたことに、感謝しています。

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